百人一首note – ページ 2

3. あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の 長々し夜を ひとりかも寝む / 柿本人麿

3. あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の 長々し夜を ひとりかも寝む / 柿本人麿

(読み)あしびきの やまどりのおの しだりおの ながながしよを ひとりかもねん / かきのもとのひとまろ

(訳)山鳥の長く垂れ下がった尾のようにこの長い夜を私は1人寂しく寝るのでしょうか。


(語句)
・「あしびきの」は「山」にかかる枕詞。

・「の」を繰り返すことで長い夜を表現している。

・ひとりかも寝む・・ひとりで寝るのだろうか
「寝(ね)(未然)」+「む(推量)」

※「寝(ぬ)」はナ行下二段(ね・ね・ぬ・ぬる・ぬれ・ねよ)

(解説)
・元々は万葉集の詠み人知らずの歌とされる。


(作者)柿本人麿:万葉集の歌人。(万葉集では「柿本人麻呂」、平安時代は「人麿」「人丸」などと表記される。)

天皇をたたえる歌、相聞歌(そうもんか/恋の歌)、挽歌(ばんか/死を悼む歌)などすぐれた歌を多数残す。

「歌聖(かせい/うたのひじり)」と仰がれる。三十六歌仙の一人。

持統天皇、文武天皇(軽皇子)に仕えた宮廷歌人。岩見国(島根)で亡くなったとされる。

・亡き妻を思い詠んだ歌
笹の葉は み山もさやに さやげども 我は妹(いも)思ふ 別れ来ぬれば(万葉集)

(訳)笹の葉は、この山にさやさやと(心乱せというように)風に吹かれて音を立てているけれど、私は妻のことを一筋に思っています。別れてきてしまったので。

 

4. 田子の浦に うち出でて見れば 白妙の 富士の高嶺に 雪は振りつつ / 山辺赤人

4. 田子の浦に うち出でて見れば 白妙の 富士の高嶺に 雪は振りつつ / 山辺赤人

(読み)たごのうらに うちいでてみれば しろたえの ふじのたかねに ゆきはふりつつ / やまべのあかひと

(訳)田子の浦の海辺に出て、真っ白い富士山をあおぎ見ると、その高い峰に雪が降り続いている


(語句)
・「白妙の」は「富士」にかかる枕詞。「真っ白い」という意味。

・「降りつつ」は反復、継続。「(雪があとからあとからしきりに)降り続いている」の意味。実際には見えるわけではないので、枕詞の「白妙の」と合わせて幻想的な雰囲気が加味される。

(解説)
・万葉集では「田子の浦ゆ 打ち出でてみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける」。

平安時代はやわらかな語調が好まれたので詠み替えられた。万葉集の方は「実感的」で、百人一首の方は「観念的」で「幻想的」といえる。

・「田子の浦」は駿河国(静岡県)の海岸。(現在の静岡市清水区辺りか。現在の「田子の浦」は静岡県富士市辺り。場所は変わったが富士山の絶景スポット。)


(作者)山辺赤人(やまべのあかひと)。宮廷歌人。奈良時代、43元明天皇、44元正天皇、45聖武天皇の頃に活躍。自然を見て景色を詠むことが得意な叙景歌人。

万葉集では「山部」、百人一首では「山辺」。三十六歌仙の一人。

柿本人麻呂(3「あしびきの」)とともに「歌聖(かせい)」と呼ばれていた。

大伴家持(6「かささぎの」)には「山柿(さんし)」と呼ばれ、尊敬されていた。

5. 奥山に もみじ踏みわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき / 猿丸大夫

5. 奥山に もみじ踏みわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき / 猿丸大夫

(読み)おくやまに もみじふみわけ なくしかの こえきくときぞ あきはかなしき / さるまるだゆう

(訳)奥深い山の中に紅葉を踏み分けやってきて、鹿の鳴き声をきくと秋の悲しさがひとしお身に染みることです。


(語句)
・係り結び「ぞ」⇒「悲しき(連体形)」
(シク活用「しく・しく・し・しき・しけれ・〇」)

(解説)
・オスの鹿はメスを求めて「ピー」と鳴く。この鳴き声は秋の季語。

・秋の山の情景(目)と、鹿の鳴き声(耳)があいまって、人恋しさが募る。

・9世紀末の「是貞親王の家の歌合」で詠まれた。(是貞(これさだ)親王は58代光孝天皇(15)の皇子。59代宇多天皇の同母兄。)

・当時すでに秋は悲哀の季節と思われていた。秋の収穫を喜ぶ農耕生活ではその発想は出てこず、都会的精神と思われる。

・この歌は古今和歌集では詠み人しらずになっている。


(作者)猿丸大夫(さるまるだゆう・たいふ)。実在さえも疑われる伝説的歌人。三十六歌仙の1人。

 

 

6. かささぎの 渡せる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける / 中納言家持

 

6. かささぎの 渡せる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける / 中納言家持

(読み)かささぎの わたせるはしに おくしもの しろきをみれば よぞふけにける / ちゅうなごんやかもち

(訳)かささぎがかけ渡したという天の川の橋のような宮中の御階(みはし・紫宸殿の階段)に、真っ白な霜が降りている。すっかり夜も更けてしまったなあ。


(解説)
・宮中は「天上」とも呼ばれるため、宮中の御殿に渡した「階段」と、「天の川にかけた橋」とをかけた。

・音的にも「階(はし)」と「橋」がかかっている。漢詩によく見られる「見立て」という技法。

・かささぎは黒と白の鳥。織姫と彦星が年に1回七夕に会うときに、天の川にかかって橋になると言われている。

かささぎ

星座・夏の大三角形。こと座ベガ(織姫)、わし座アルタイル(彦星)、はくちょう座デネブ(かささぎ)。


(作者)中納言家持(ちゅうなごんやかもち)。大伴家持(おおとものやかもち)(718~785)。奈良時代末期。『万葉集』の歌人であり、『万葉集』をまとめた撰者でもある。三十六歌仙の一人。

家持の父は大伴旅人(おおとものたびと)(酒の歌を多く残した。)

大伴氏は武人として朝廷に仕えた名門で、歌の家柄でもある。

 

7. 天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし月かも / 阿倍仲麿

 

7. 天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし月かも / 阿倍仲麿

(読み)あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも / あべのなかまろ

(訳)広々とした大空をふり仰いではるかに眺めると、ふるさとの春日にある三笠山にかつてのぼっていた月と同じなのだなあ。


(語句)
・「かも」・・詠嘆「〜だなあ」

・「なる」・・「〜にある」


(作者)阿倍仲麿(あべのなかまろ)(701~770)

717年、留学生として唐に渡り、科挙に合格。官吏(かんり)として玄宗皇帝に仕えた。中国名は朝衡(ちょうこう)。

詩人の李白(りはく)や王維(おうい)とも交流があった。

753年、35年ぶりの日本へ帰国することになったが、藤原清河らと渡った船が難破。

安南(ベトナム)に流れ着き、唐へまた戻ることになった。そしてついに日本には帰れなかった。

阿倍比羅夫(蝦夷討伐や白村江の戦いで活躍)の孫。

 

8. わが庵は 都のたつみ しかぞ住む 世をうぢ山と 人はいふなり / 喜撰法師

(宇治・宇治川、大吉山)

8. わが庵は 都のたつみ しかぞ住む 世をうぢ山と 人はいふなり / 喜撰法師

(読み)わがいおは みやこのたつみ しかぞすむ よをうじやまと ひとはいうなり / きせんほうし

(訳)私の草庵は都の東南にあって、このように穏やかに住んでいる。なのに世間の人々は辛い世から逃れて、宇治山に隠れ住んでいると噂しているようだ。


(語句)
・「なり」は伝聞の助動詞。「~のようだ」。音(ね)あり。

・「宇治」と「憂し(うし)」との掛詞。

・辰巳・巽(たつみ)・・東南。(方角・・子は北、卯は東、午は南、酉は西。)

(解説)
・宇治へ隠れ住んでいるという噂を笑い飛ばすようなユーモアのある一句。

・宇治山は現在では喜撰山(きせんやま)と呼ばれる。

・宇治は早くから世間の俗塵を離れた清遊の地とされ貴族の別荘も多かった。


(作者)喜撰法師。六歌仙の1人。仙人となり雲にのって飛び立ったという伝説が残る。

 

 

9. 花の色は うつりにけりな いたづらに 我が身世にふる 眺めせし間に / 小野小町

9. 花の色は うつりにけりな いたづらに 我が身世にふる 眺めせし間に / 小野小町

(読み)はなのいろは うつりにけりな いたづらに わがみよにふる ながめせしまに / おののこまち

(訳)桜の花の色ははかなく色あせてしまった。長雨が降り続く間に。私の容姿も同じように衰えてしまった。物思いにふけっている間に。


(語句)
・「眺め」と「長雨」が掛詞。

・「(長雨が)ふる」と「世にふる」(年月が経つ)の掛詞。

・いたずらに・・むなしく

・うつりにけりな・・色あせてしまった。「~な」は感動の終助詞。


(作者)小野小町。吉子。美女の代名詞。54代 仁明天皇の更衣。小町は在原業平に思いを寄せていたとも言われる。六歌仙三十六歌仙の一人。

 

10. これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関 / 蝉丸

10. これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関 / 蝉丸

(読み)これやこの ゆくもかえるも わかれては しるもしらぬも おうさかのせき / せみまる

(訳)これがあの、東へ行く人も都へ帰る人も、ここで別れ、知っている人も知らない人も出会う逢坂の関なのですね。


(解説)
・「逢坂の関」は山城国(やましろのくに・京都)と近江国(おうみのくに・滋賀)の関所。

・歌枕(歌に出てくる地名)や、「逢ふ」との掛詞にもよく使われる。

・「逢うは別れの始め」という「会者定離(えしゃじょうり)」を詠んだとの解釈もある。「会っては別れ、別れては会うのが人生のならいだ」という仏教的な感慨も。


(作者)蝉丸(せみまる)。琵琶、蝉歌(声を絞って歌う)の名手。

・『今昔物語』では59代宇多天皇の皇子、敦実(あつざね)親王に仕えたと言われている。

・62「夜を込めて」にも「逢坂の関」が出てくる。


・「逢坂の関」は「鈴鹿の関」「不和の関」と並ぶ三関の一つ。逢坂の関を越えれば東国とされた。

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(引用:Wikipedia)

11. わたの原 八十島かけて こぎ出でぬと 人には告げよ あまの釣舟 / 参議篁

11. わたの原 八十島かけて こぎ出でぬと 人には告げよ あまの釣舟 / 参議篁

(読み)わたのはら やそしまかけて こぎいでぬと ひとにはつげよ あまのつりぶね / さんぎたかむら

(訳)大海原に浮かぶたくさんの島をめざして漕ぎ出していったと、人には伝えておくれ。漁師の釣り舟よ。


(語句)
・わたの原・・大海原

・八十島・・たくさんの島

・あま・・漁師


(作者)参議篁(さんぎたかむら)(802~852)。小野篁(おののたかむら)。小野妹子の子孫。漢詩や学問にすぐれた学者。21才で文章生(もんじょうしょう)になる。

承和5年(838年)、優秀で36才で遣唐副使に選ばれるも、壊れた船をあてがわれたため仮病で乗船拒否。

さらに遣唐使を批判する詩を書いて52代・嵯峨上皇を怒らせてしまい、隠岐に流される。2年後、54代・仁明天皇に許されて都に戻り、参議にすすんだ。

昼は官僚、夜は閻魔大王の相談役という二刀流をこなした人物とも伝えられる。

 

12. 天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ / 僧正遍昭

12. 天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ / 僧正遍昭

(読み)あまつかぜ くものかよいじ ふきとじよ おとめのすがた しばしとどめん / そうじょうへんじょう

(訳)大空を吹く風よ。雲の中の天への通路を吹き閉ざしておくれ。天女たちの姿をもうしばらくとどめておきたいから。


(語句)
・天つ風・・天の風。空を吹く風よ。「つ」は「の」の意味。

・をとめの姿・・この「をとめ」は「天つ乙女」の意味で天女をさす。五節の舞姫を天女に見立てた表現。

(解説)
・11月中旬、宮中行事の「豊明の節会(とよあかりのせちえ)」(=天皇が新米を食べる儀式)の「五節の舞姫(ごせちのまいひめ)」を見て詠んだ歌。


五節の舞姫


(作者)僧正遍昭(そうじょうへんじょう)。良岑宗貞(よしみねのむねさだ)。

六歌仙三十六歌仙の一人。平安京を開いた50代・桓武天皇の孫。良岑安世(よしみねのやすよ)の息子。素性法師(21「いま来むと」)の父。

54代・仁明天皇(833年)に仕え「良少将」「深草少将」と呼ばれた。仁明天皇崩御のあと、35才で比叡山にのぼり出家。僧正は僧侶の中で最も高い位。元慶寺を創設。

美男としても知られ、小野小町(9「花の色は」)とも親しかった。