百人一首note – ページ 5

33. ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ / 紀友則

33. ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ / 紀友則(きのとものり)

(読み)ひさかたの ひかりのどけき はるのひに しずこころなく はなのちるらん

(訳)日の光が穏やかに差している春の日に、桜の花はどうして落ち着いた心なく急いで散ってしまうのか。

(解説)
・桜の儚さ、世の無常などを詠んだ。

・ひさかたの・・光にかかる枕詞。天、空、月などにかかる。


(作者)紀友則。『古今和歌集』の撰者。三十六歌仙の1人。

紀貫之(35「人はいさ」)のいとこ。『古今和歌集』の完成を前に亡くなった。

 

34. 誰をかも しる人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに / 藤原興風

34. 誰をかも しる人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに / 藤原興風(ふじわらのおきかぜ)

(読み)たれをかも しるひとにせん たかさごの まつもむかしの ともならなくに

(訳)誰を友としよう。心をかわす古くからの友人もいなくなった今となっては。あの年老いた高砂の松も昔からの友ではないのに。

(解説)
・高砂(たかさご)・・播磨の国(兵庫県・高砂市)の海岸にある、長寿の松の名所。


(作者)藤原興風(ふじわらのおきかぜ)。琵琶や琴の名手だった。

凡河内躬恒(29「心あてに」)や紀貫之(35「人はいさ」)らと歌会をしていた。三十六歌仙の一人。

35. 人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける / 紀貫之

35. 人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける / 紀貫之(きのつらゆき)

(読み)ひとはいさ こころもしらず ふるさとは はなぞむかしの かににおいける

(訳)あなたは、さあ、心変わりしているのかお心は分かりません。昔なじみのこの里では梅の花が昔と変わらず咲き誇っているのです。

(解説)
・大和(奈良)の初瀬・長谷寺(はせでら)へ行ったときに詠んだ歌。長谷寺は十一面観音で有名。(74)にも初瀬が出てくる。


(作者)紀貫之。紀友則(33「ひさかたの」)の従兄弟。『古今和歌集』の撰者。仮名序(仮名の序文)を書き、その中で六歌仙についても述べた。

『土佐日記』の作者。女性を装い、かな文字で書かれた日本最古の日記文学。

 

 

 

36. 夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ / 清原深養父

36. 夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ / 清原深養父(きよはらのふかやぶ)

(読み)なつのよは まだよいながら あけぬるを くものいずこに つきやどるらん

(訳)夏の夜は短いのでまだ宵(夜)だと思ってるうちに開けてしまった。雲のどのあたりに沈み切らなかった月は宿にしているのだろう。

(解説)
・「宵」・・夜に入ってすぐ。「夕」のあと。「夜半」の前。


(作者)清原深養父(きよはらのふかやぶ)。清少納言(62「よをこめて」)の曾祖父。清原元輔(42「契りきな」)の祖父。紀貫之(35)らと交流があった。琴の名手。

 

37. 白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける / 文屋朝康

37. 白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける / 文屋朝康(ふんやのあさやす)

(読み)しらつゆに かぜのふきしく あきののは つらぬきとめぬ たまぞちりける

(訳)風の吹く秋の野に、白く光る朝露。まるで糸を留めていない真珠が散り乱れているようだ。

(解説)
・「草の上の露」を「玉・真珠」に例えることはよくあったが「風に散る露=玉」を読んでいるところが新鮮。

・露(つゆ)は涙の例えとしても使われるため、「散る」という表現から恋が終わったことを表すのかも。

・『後撰集』の詞書(ことばがき)より。延喜の時代、60代醍醐天皇から求められて作った歌。


(作者)
文屋朝康(ふんやのあさやす)。父は文屋康秀(22「吹くからに」)。多くの歌合わせに参加した。

 

 

38. 忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな / 右近

38. 忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな / 右近(うこん)

(読み)わすらるる みをばおもわず ちかいてし ひとのいのちの おしくもあるかな

(訳)忘れられた私のことはいいのです。愛の誓いを破ったあなたの身が心配です。

(解説)
・藤原敦忠(ふじわらのあつただ)(43.「逢い見ての」)に贈った歌。←敦忠は左大臣・藤原時平(菅原道真を大宰府へ左遷した)の息子。敦忠は実際に若くして38才で亡くなった。


(作者)右近(うこん)。右近衛少将・藤原孝縄(うこんのえしょうじょう・ふじわらのすえなわ)の娘。恋多き女流歌人。藤原敦忠(43)や元良親王(20)などと恋をしたと言われる。

60代醍醐天皇の皇后・穏子(おんし)に仕えた。『大和物語』にも恋愛模様が描かれている。

 

39. 浅茅生の 小野の篠原 忍ぶれど あまりてなどか 人の恋しき / 参議等

39. 浅茅生の 小野の篠原 忍ぶれど あまりてなどか 人の恋しき / 参議等

(読み)あさじうの おののしのはら しのぶれど あまりてなどか ひとのこいしき(さんぎひとし)

(訳)低い茅(ちがや)(ススキ)が生える、小野の篠原のようにしのんできたけれど、もう抑えきれません。どうしてこんなにあなたが恋しいのでしょう。

(解説)
・『古今集』の「浅茅生の小野の篠原忍ぶとも 人しるらめやいう人なしに(詠み人知らず)」を本歌にしている。

・あまりて・・抑えきれないで


(作者)参議等(さんぎひとし)。源等(みなもとのひとし)。52代嵯峨天皇のひ孫。

『後撰和歌集』に採録された「東路の佐野の舟橋かけてのみ 思ひわたるを知る人ぞなき」は、本阿弥光悦作『舟橋蒔絵硯箱』の蓋の意匠に取り入れられた。

 

 

40. 忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は 物や思ふと 人の問ふまで / 平兼盛


(ハナシノブ)

40. 忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は 物や思ふと 人の問ふまで / 平兼盛(たいらのかねもり)

(読み)しのぶれど いろにいでにけり わがこいは ものやおもうと ひとのとうまで

(訳)人に知られないように隠してきたけれど、私の恋心は顔色に出てしまったようです。恋に悩んでいるでしょうかと人から尋ねられるほどに。

(解説)
・960年村上天皇の「天徳内裏歌合わせ」で「しのぶ恋」で詠まれた。壬生忠実(41恋すてふ)と対決し、こちらの「忍ぶれど」が勝った。


(作者)平兼盛(たいらのかねもり)。(平清盛とは関係ない)。三十六歌仙の一人。光孝天皇(15きみがため)のひ孫の子。

 

41. 恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか / 壬生忠見

(ヒトリシズカ)

41. 恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか / 壬生忠見(みぶのただみ)

(読み)こいすちょう わがなはまだき たちにけり ひとしれずこそ おもいそめしか

(訳)恋をしている私のうわさは早くも広まってしまいました。誰にも知られないように心の中で思い始めたばかりなのに。

(解説)
・まだき・・早くも

・960年・天徳内裏歌合わせで40「しのぶれど」と対決した。摂津からはるばる都にやってきた。


(作者)壬生忠見(みぶのただみ)。摂津国の下級役人。父は壬生忠岑(30「有明の」)。

父子ともに三十六歌仙

42. 契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波超さじとは / 清原元輔

42. 契りきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波超さじとは/清原元輔(きよはらのもとすけ)

(読み)ちぎりきな かたみにそでを しぼりつつ すえのまつやま なみこさじとは

(訳)約束しましたよね。涙にぬれた袖を絞りながら。末の松山を波が決して越さないように2人の愛も変わらないと。

(解説)
・末の松山・・陸奥国(宮城県)にある松の名所。多賀城市あたり。

・869年の貞観(じょうがん)地震の際も、波は末の松山を越えなかった。

・作者の清原元輔が代理で詠んだ。

・『古今集』の「君をおきて あだし心を わがもたば 末の松山 浪もこえなむ」を元にした。


(作者)清原元輔(きよはらのもとすけ)(908~990)。清少納言(62「夜を込めて」)の父。清原深養父( 36「夏の夜は」)の孫。

『後撰集』をまとめた「梨壺の五人」のうちの一人。三十六歌仙の一人。